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🌳🏡田舎暮らしのおっさんの日記🏡🌳

16歳になる年に倒れ17年近く経過してから先天性の発達障害を脳に幾つも持っていた事が判明。 これは障害者となった私のMy Lifeである。

なぜ「亡くなった人」の事を話す時「生前」と言うのか。

それは「信じる」「信じない」の問題では無く、私達は「霊的存在」であり、その事を「魂が記憶している」からに他ならないと思います。

いわば、私達は「4次元以上の世界」に存在する事が当然であり、此の世で亡くなったら、その「4次元以上の世界に還れる」から、無意識のうちに「生前」と呼んでいるのであろう。

つまり「彼の世に還る事」が本来の目的であり「彼の世で生活する」のが当然の様なものだから、彼の世は「本来いるべき場所=生きている場所」という考えになり、3次元は「修行の場」となり、亡くなって4次元以上の世界に戻れば、本来いる場所へと還れる訳であるから「お帰りなさい! よく頑張って修行をしてきたね! おめでとう!」と、皆んなに褒められ出迎えられ「生前はさぞや大変苦労しただろうに」と慰めと労いの言葉を貰うのである。

彼の世では「現在・過去・未来」の事が、ある程度視えているし、欲しいと思った物は直ぐに目の前に現れる世界である。

3次元に行きたいと思えば、光よりも早く「テレポーテーション」で瞬間移動が出切る。

だから「補助霊」や「守護霊」として「護りたい者」の傍にいつもいて守護をしている訳であり、現在の状況や、これからの未来の状況が判るからこそ「難があれば無難に」、そのままでよければ「もっと好い方向へ」と導いてくれるのである。

そして、あなたも補助霊も守護霊も最終的には、また此の世に産まれてくる。

産まれてくる事を決意した際、彼の世の人々は、泣いて悲しみ「辛いだろうけれど頑張って修行をして来てね」と送り出します。

 

そして、此の世へと「おぎゃあ」と産まれてくる訳だ。

 

赤ん坊が何故、産まれた瞬間に泣くのかと言うと「本当に大変な世界に産まれてきてしまった」という事を知っているからであり、見送りに来てくれた皆んなが悲しんで泣いているからである。

産まれてくる前は、全ての事が解かっているから、何処の国の、どの街の、誰を親とし、どんな兄弟姉妹や親戚がいるか、どんな学校に通って、どんな仕事をするかなどを予めシッカリ確認をして、自分自身で全ての青写真を決めて産まれてきます。

しかし、此の世に産まれてくると、記憶が消滅してしまうのは何故だろうか?

それは「此の世で修行するにあたって何でも解かっていると修行(経験と記憶)にならないから」である。

 

しかし、産まれて間もない3歳頃の喋れる様になった子供に「お母さんのお腹にいた時はどんなだったの?」とか「お母さんの処に来る前はどんな処にいたの?」とか質問をすると、スンナリと前世を応える子供がいる事も確かだ。

それから、あなたは「受精」した時、胎児の形がハッキリと決まるまでは、全ての命が「女性だけ」であるという事を知っているであろうか?

それは、胎児の形が決まるまでは、まだ「魂が宿っていないから」なのである。

魂が宿って、初めて「男性」で産まれるか「女性」で産まれるか、自分が決めてきた性を持って育つ事になるのだが 、しかし、例外もある。

 

先にも述べた様に、始めは全ての命が女性なのである。

 

そこで、男性に産まれる筈だった魂は、身体を男性に変化させていく訳なのだが、その変化の途中で母親の胎内と合わなくなり、流産とか死産をしそうになる。

 

そういった場合「絶対に男で産まれなければ意味が無い!」とか「修行ができないなら産まれなくてもいい!」と考えた魂は流産や死産に至る。

 

しかし「どっちでもいいからとにかく産まれて経験を積みたい! 努力をしてみたい!」という強い意識を向けた場合、その子供は変わりかけていた男性の身体を、女性へと変化させてしまうのだ。

 

女性として産まれた子供は大抵は丈夫な子供に育っていくものだ。

 

しかし、男性として産まれた子供には特に注意が必要である。

 

本来、女性の身体だったものを男性に変えてしまった訳なのだから、その分余計な力が遣われており、体力とか免疫力が弱く、身体が病弱なのだ。

 

だから昔の子供は3~6歳頃までに亡くなってしまう子供が多かったのだ。

 

始めから「男性で産まれる事」を望み、何事も無く、トントン拍子で産まれてしまった男性は、自分で決めてきた寿命までは命を絶たない限り全うする。

 

例え、それが事故であろうとも、水難であろうとも、火災であろうとも、変死であろうと、自然死であろうとも、亡くなった場合はそれが「寿命であった」のだ。

 

さて、何度も書きますが、此の世に産まれてくる時には、彼の世では泣いて悲しみ「辛いだろうけれど頑張って修行をして来てね」と送り出します。

しかし、人が亡くなって身体から離れると、補助霊や守護霊、親戚の霊や友人の霊などが揃ってお出迎えに上がります。

 

その時に言う言葉が「生前はご苦労様でした」とか「生前は大変だったでしょう」などという慰めと労いの言葉なのです。

 

4次元以上の世界からすれば、4次元世界に還った日こそが誕生日であり、記念日なのです。

 

ですから、4次元以上の世界に行っている方たちからすれば「生前」というのは当然の事なのですが、3次元に住んでいる者達からすれば「生前(彼の世に渡る前)は本当に御世話になりました」とか「生前(彼の世に渡る前)には楽しませて貰いました」とか「生前(彼の世に渡る前)には苦労をかけました」とか、そういった意味を籠めて使用しているのだと思います。

 

でなければ「現世」で「生前」なんて言葉は必要ありませんからね。



今回は長くなってしまったので、ここまでで終わりにしたいと思います。